こんにちばんわ、まっちゃです。
日常会話やSNSでよく自分が社畜だと話したり呟いたりする人がいますが
人はどんなときに自分を社畜だと認識するのか気になり今回考えてみました。
主に日本で、社員として勤めている会社に飼い慣らされ、自分の意思と良心を放棄し、サービス残業や転勤もいとわない奴隷(家畜)と化した賃金労働者の状態を揶揄、あるいは自嘲する言葉である。「会社+家畜」から来た造語かつ俗語で、「会社人間」や「企業戦士」などよりも、外部から馬鹿にされる意味合いを持つ。
サービス残業や転勤を強要したり労働環境が過酷でなければ人は自分を「社畜」と感じないと言い切れるのでしょうか?
いわゆる「環境」や「条件」以外でも人が自分を『社畜だ』と感じる要因について順にご紹介します。
1,同じことをひたすらやるだけで自己成長を感じない
誰にでも出来ることを一日ひたすらやるだけ。
「自分じゃなくても出来るのに」「これやってて自分はどうなるんだろうか」
業種業態によっては専門性を含む内容もあるでしょうし全てがこれに当て嵌まるとは思いませんが、明らかに誰でも出来ることをやるというのは辛いものです。
前提として仕事を通じて自己実現・自己成長したい、やりたいことがあるという方がこのパターンです。
そういった方は他のことをしたい、また意欲があることを申し出るべきです。
申し出ても変わらないのなら退職し環境を変えましょう。
我慢していても心身と時間を削り無駄にするだけです、自分の気持ちに抗い我慢する必要なんてありません。自分のその意欲を尊重しましょう。
2,偏った仕事だけの人間付き合い
仕事に関する必要最低限な報告連絡相談に関することしかコミュニケーションが発生しない場合のことです。もちろんコミュニケーションは自分からも起こすものですので、仕事に関することやその他何気ない会話もこちらから気にせず発信すればいいです。
それでも双方間での関係性構築が出来なければ「大人しく決まったことやっておけばいいということか」こう感じてしまうことがあるでしょう。
人の存在を承認することはとても大切なことです。挨拶、髪型変えたことに気づいたと声をかける、名前で呼ぶ、これ全てが「承認」です。
これがないと組織で働いているというより個人経営しているみたいですよね。
人に興味のない組織や会社はこうなりがちです。
まとめ
一般的に認識される「社畜」イメージ以外にもそう感じさせる要因は存在する。
目的意識を持ち、人との繋がりを忘れないこと。
それを軸にして自ら行動し、時には環境を変える決断をすること。
自分の意思を大切に。自分を殺す必要なんてない。
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