まっちゃブログ

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「感情的になるな」は間違ってる持論について

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「感情的」と聞くとどんなイメージを持ちますか?多くの人は「怒りっぽい」「短気」を連想するのではないでしょうか。けど実際のところはどうでしょう。あたかも否定的なイメージが植え付けられているように思いますが僕はそう思いません。むしろ「感情的になれ」と思います。今日はそんな持論について書いてみたいと思います。

 

 


1.感情のない人が多すぎる


人の顔色を伺い自分の主張は二の次にしている人いませんか?話が合わないとか、イメージ悪くなったら嫌だとか理由をつけて自分の感情を圧し殺してる人。こんな人がとても多いように思います。誰も意見するななんて言ってもいないのに、下手に出ようとする。特に社会で多いんじゃないでしょうか。先輩や上司、得意先。付き合い上致し方ないときはあるでしょう。しかし、それにしても自分の主張を殺すのはやめた方がいい。何も感じなくなる。これって人として怖いと思いませんか?

 

2.感情的になるのは大切なこと


ここでの「感情的になる」というのは自分の主張を持ち相手へ伝えようとする行為のことです。生まれ育った環境や見てきた視点や聞いてきた話が違う私達は互いに価値観が違うのが普通です(たまにすごく気が合う人もいますがそれはここでは無しとして)そんな私達が共に生活していると、意見主張の相違があって当然です。つまり「誰にでも感じる権利、考える権利、主張する権利がある」と言いたいです。特に「主張」は大切だと思っていて、SNSやブログといったツールもありますが一番は対面で直接伝えようとすることです。へり下りすぎることはありません、自分を大切にし自分の主張を表へ出していきましょう。結果間違っていもいいです、伝えるという行為に価値がありますし伝えたことで相手とのやり取りから得られるものにはもっと価値があります(新たな気付きや視点、価値観など)


3.但し「怒り」をコントロールすること


そして留意する点は「怒り」をコントロールすることです。これが出来ない人は価値観の違う相手とのやり取りから得られるものが得られなくなります(本質的なのは互いに意見を出し合い、互いに受け入れる部分とその線引きを調整しながら結論までもっていき着地させることです)怒りが言動や行動により表に出てしまうとこの「本質的な会話」が行えません。このように怒りをコントロール出来ない人は自分の主張を伝えるという行為が苦手です。人と会話のコミュニケーションが浅く、言葉や文脈を扱うことが希薄(本を読まない等)といった傾向が強いです。同じ人でも会話で相手へ伝えるのが得意な人、不得意な人とではどちらが人生で得するか?答えは明確ですよね。「怒り」はコントロールすることです。


まとめ


自分が感じること考えることと素直に向き合うと、知らない自分に気づけたりします。これには年齢関係ないと思っていて、32の僕がそうだからです。良いところ、悪いところ幅広く全部です。自分の強み弱み分析にもなってすごくいいと思っています。そして感じ考えて終わりではなく、それを相手へ伝える訓練としてコミュニケーションするという考え方も悪くはないと僕は思います。